赤か青か

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「今この瞬間、全ての人間があなたと同じ選択をしています。

50%以上の人間が青いボタンを押せば、全員が生き残ります。

50%以上の人間が赤いボタンを押すと、赤いボタンを押した人間は生き残りますが、青いボタンを押した人間は全員死にます。

どちらを押しますか?」

 

<赤を押す理由>

・自分は確実に助かるから

・皆が赤を押せばだれもリスクを負わずに生き残れるから

・自分が助かれば青を選んだ他人が死んでもいい、という選択をする人間が少なくとも50%以上いるとすると、青を押す=死なので、出来るだけ多くの人が赤を押すことが死者を減らすことになるから

・自分が助かれば青を選んだ他人が死んでもいい、という選択をする人間と、そのような人間が少なくとも50%以上いると信じている人間の両方をあわせると50%以上になるならば、青を押す=死なので、出来るだけ多くの人が赤を押すことが死者を減らすことになるから

 

<青を押す理由>

・リスクを負っても誰も死なせたくないから

・何らかの理由で青を選ぶ人間が必ずいるので、全員が赤を押すことを目指すのは実現可能性が無いから

・自分が助かれば青を選んだ他人が死んでもいい、という選択をする人間が50%以上もいるわけがないから

・自分が助かれば青を選んだ他人が死んでもいい、という選択をする人間と、そんな人間が50%以上もいると信じている人間をあわせても50%以上いるわけがないから

 

 一見すると青を選ぶのが倫理的に正しい選択に見えるけど、赤が50%超えると信じる場合には青を選ぶのは犠牲者を一人増やすだけなので、赤を選ぶのが最も多くの人を救える選択になる、というのが面白いところ。

 つまり、利他性・利己性の強さが選択に影響する問題のように見えて、匿名への他者への信頼が要因として交絡しているので、どちらを選んだとて、一概に利他的だの利己的だのということにはならない。

 でもその辺が上手く隠されているために、コメント欄で互いの選択を攻撃しあう地獄が出来上がってる。

さすが不動産屋きたない

「毎月の返済額(賃料)」って意味不明すぎて好き。

暗に「私は噓つきのカスです」と宣言してるようなもんじゃん。

 

ちなみに正直に比較するとこんな感じ。

・住宅ローン残高:1,500万円 ⇒ 0円

・現金:0円 ⇒ 1,000万円

・不動産:2,500万円 ⇒ 0円

 

・固定資産税(年):12万円 ⇒ 0円

・ローン返済額(年):148万円 (※1) ⇒ 0円

・家賃(年):0円 ⇒ 84万円 (※2,3)

  ※1:残約10年間

  ※2:死ぬまで

  ※3:敷金礼金を除く

”クラウドファンディングはあくまでも「支援」なのでリターンを期待してはいけない”

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”クラウドファンディングはあくまでも「支援」なのでリターンを期待してはいけない”といった言説がこういった話題でよく見られるけど、これは少なくとも三重に間違いだから注意しなくてはいけない。


①「ファンディング」はそのまま「投資」の意であるので、そもそも名称として「クラウド型投資」である。これが第一義的に「支援」であるというのは語義上の誤りである。

②クラファンにも商品購入型や利益分配型などさまざまな種類があり、明示的に「支援」をうたうもの以外はクラファンの仕組み上ですら「支援」ではない。

③もともと”支援だから”という言説は、”人に金を貸すときはあげると思って貸せ”と同じく相手側に不法行為を働かれることを前提として意思決定することを推奨する言説であり、”騙されることを覚悟し、もし騙されたらあきらめろ”を優しく言い換えただけである。この言説を不法行為を働く側の擁護や働かれた側への批判として用いる事は、犯罪を推奨し被害者を糾弾する行為でしかなく、倫理的に破綻している。

村田版ワンパンマンがなぜ嫌いかという話

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優れた娯楽作品って、表面的な面白さだけじゃなくて、根底に魅力的な思想・テーマ性があるんだよね。後者があるかどうかが傑作と凡作を分ける。
ワンパンマンだと、ギャグや爽快なアクション、魅力的なキャラ造形やわかりやすいプロットで表面的な面白さを出しつつも、キャラクターの行動を通して常に”善”や”能力”、”アイデンティティ”といった普遍的な問題についてのONEなりの答えを提示し続けている。だから深く読み込むだけの魅力があるし、さらっと読むだけでも何かしら感じるものがある。
村田版がアンチに叩かれるのは、表面的な要素だけを拾って、ありきたりで薄っぺらな少年漫画の文法に乗せて出力してしまっているせいで、原作の魅力を支えていた「ONEなりの答え」に関する重要な描写が削られたり矛盾する描写が足されたりしてるからなのよね。画力でガワは整えられても、中身がチープな量産品になってしまっているから、原作の持つオンリーワンの魅力には絶対に到達できず、どんなにうまくいっても「良くできた凡作」以上になることはできない。
「良くできた凡作」を一個の作品として面白いと評価するのは何も間違っていないと思うし、村田版を読んで面白かったと思うこと自体を否定はしないけど、原作アリ作品で「傑作」を「凡作」にしてしまえば大失敗と評価されるのが妥当だし、その点について村田版は擁護の余地がないよね。

陰謀論は弱った心によく沁みる

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実際、「便槽内に入るのは不可能ではないが難しい」程度の場合が一番「覗き」の可能性が高くなるのよね。
頑張れば入れる+他人が押し込むのは無理=自分で入った、ってことになるから。
自分で入ったとすると動機は「脅されて」か「覗き」くらいしかないけど、脅しの場合は脅す方の目的が謎。どんな目的があろうと、結果がどうなるかが不確定すぎて「脅して便槽に入らせて放置する」を手段として選択する理由がなさすぎる。被害者は大声で助けを呼ぶかもしれないし、自力で脱出するかもしれない。便槽内にダイイングメッセージを残すかもしれないし、生きているうちに発見されて救出されるかもしれない。
さらに言うと、おとなしく便槽内でタヒぬ結果になるのは当人が自分の意思でおとなしくしていた場合だけで、自分で便槽に入っておとなしくしている理由なんか「覗きがバレたくない」くらいしかない。

百歩譲って、何らかの方法でうまくタヒ体を押し込むことができたと仮定しても、犯人の思考過程が全くもって不自然になる。
発見時の状況やらタヒ因やらを考慮に入れると、犯人は「被害者を狭い空間内に上半身裸で衣服を抱かせて閉じ込めて窒息タヒさせてから便槽まで運んで押し込む」ないし「狭い空間内に閉じ込めて窒息タヒさせてからタヒ後硬直する前に上半身裸にして衣服を抱かせる姿勢にしたうえで便槽まで運んで押し込む」とかいう無駄に込み入った頃し方を、被害者に一切抵抗させることなく、かつ証拠を残すことなく達成したことになる。「覗き目的で入ったが脱出できずに窒息」に偽装する目的以外でそんな手間のかかる頃し方をする理由はないから、犯人は何が何でもタヒの理由を偽装したかったはず。
ところが、陰謀論者たちが覗き説を否定する理由の一つに「上半身裸で衣服を抱いた状態なのは不自然」があることからわかるように、手間暇かけてこの頃し方をしたところで偽装の説得力が上がるわけじゃないし、なんなら下がる可能性すらある。そんなことをするなら服は着せたままにするか、脱がせた服を汲み取り口の近くに隠しておいた方が偽装としては簡単だし説得力も高い。

要するに、わかっている情報の範囲内でこの事件に犯人がいたとすると、どうなるか全く予想もつかない方法で犯行に挑む信じられないほど無能な人物か、必要もなく犯行過程を複雑にして失敗の可能性を高める無能さと、その複雑な犯行を完璧にこなす有能さを併せ持った極めて珍しい人物のいずれかということになる。そのどちらでもないとしたら、発見時の状況やタヒ因などの情報を操作隠匿できる手段を持つ集団による陰謀しかありえない。

そもそも陰謀論者どもの論理は、「図によると便槽に入るのは不可能」なので「覗き」ではありえない⇒発見時の状況やタヒ因についての警察の公式見解に決定的な嘘がある⇒何らかの陰謀があるに違いない、という流れだったわけで、不可能という前提が崩れてしまえば警察の公式見解を疑う積極的な理由は無くなるし、陰謀があると考える根拠もなくなる。合理的に考えればこの時点で議論は決着してる。「新たに「覗き」を否定する決定的な証拠が出てこない限り、「覗き」以外の可能性はほぼない。」本来はそれで終わり。今行われているのはもう議論ではなくて、「もし陰謀があるとしたらこういう可能性がありえる」という、結論から逆算しているだけの妄想語りでしかない。
結局のところ、この議論の本質って、「何らかの陰謀がある」という一度抱いた信念を手放すことができない精神的に不安定な奴らが合理的な思考をかなぐり捨てて、村内の確執がどうだ警察の腐敗がこうだと「自分が正しいままでいられる理由」をでっちあげて自分のエゴを守っているだけなのよね。カルト信者やらMAGAやらと同じ。

差別的な思考はレトリックで覆い隠しても臭う

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この炎上した放送作家のnoteの内容って、レトリックを排してロジックだけを追うと、要するに「テレビ業界にいる優秀な私たちが劣等な他業界の有象無象に劣るわけがない」とナチュラルに信じているせいで「転職で評価されない」という現実を理解することができないので、「自分たちの優れているところ」を10個も書き連ねて「理解できない他業界の奴らが無能」とわめき散らすことで矮小な自尊心を慰めているように見える。

「自分たちの優れているところ」のまとめとして”総合的な力”とか”人間力”とか抽象的な能力が結論になるのは、「テレビ業界人>その他」という幼稚で差別的な選民思想を正当化するためには観測不能で検証不可能な根拠が必要だからでしょうね。論理的に追いつめられると、”精神性”とか”民族性”とか”神の意図”とかいった具体的な中身を何とでもできる都合の良い抽象概念に縋りだすのは差別主義者あるある。

 

ただ、「テレビ業界人>その他」という職業差別は直接には文章化されずに暗黙の前提化されていて、ロジックの中で表に出ていない点はかなり面白い。むしろ、自分たちが弱い立場にいるかのような表現を使いつつ、「テレビ業界人は頑張っている」と鼓舞するようなレトリックを採用することで、差別意識が読み手から隠されるように構成されている。これは推測だけど、おそらくこの放送作家は自らのレトリックに騙されて、自分が差別意識を持っていることに気が付いていないんじゃないだろうか。自覚があるにしては言動が無神経すぎるしね。

今回これが大きく燃えた理由の一つは、この隠し方が下手すぎて文章の端々から差別意識がにじみ出しているために、読み手を極めて不快な気分にしたからだろうと思う。もしこれが差別意識全開の文章ならここまで燃えなかったとすら思う。

 

差別意識はさておき、テレビ業界人の転職という記事の内容自体について言うと、「業界によって必要なスキルは変わるので、共通するスキルのない業界に移るのは簡単ではない」「業界によらない基礎的なスキルはどの業界にいても鍛えられる」という当たり前の前提で考えれば、特殊化しているテレビ業界のスキルセットでは外に移るのが難しく、基礎的なスキルについてはよほど飛びぬけていない限りは評価の対象にならない、ということになるかな?実態は知らんけど、常識的な推論としてはこの辺でしょ。

いろいろ考えてることのメモ

メモ1:まだ法規制されていないだけの犯罪行為

AIアニメ早くも無法地帯と化す(youtube short)

https://www.youtube.com/shorts/sR4iJJ2_n18

暗号資産系の「〇〇コイン」と同じで、まだ法規制されてないだけの犯罪行為が一番儲かるからしょうがないよね。

倫理面を考慮に入れなければ、法規制が入る前に稼いで捕まる前に引退するか、しこたま稼いで政治献金やロビー活動で後ろ盾を作るかのいずれかが最適解。健全な社会において必ずしもそうならないのは、そういうことをする人間にはいろいろな形で社会的なサンクションが加えられるので、長期的に見て割に合わない(と多くの人が考える)から。つまり、倫理が欠落していて利益だけで動く人間であっても、周囲の倫理観のある人間から爪弾きにされるようなことをするのは利益にならないと理解すれば、当然倫理的な行動をする。結果として大多数が倫理的な行動をし、長期的な損得勘定ができない”無能な”人間と、サンクションをうまく回避しつつ非倫理的に動ける”有能な”人間による”健全な”社会が成り立つ。

でも、マスクやトランプを見ればわかるように、現在の社会状況では(特にアメリカにおいては)倫理面でのサンクションが働かなくなっていて、非倫理的な行動が本当に最適解になってきている。

もともと↑みたいな構造の社会システムには、倫理や共感性が欠落した”有能な”人間が成功して金や権力を握り、その力を維持できるように社会を作り変えていくプロセスが存在するので、長期的に見るとだんだんと腐敗(力を持つ側からすると”効率化”)していくわけだけど、今の社会は主に新自由主義によって社会がより”競争的”に作り変えられることでこのプロセスが超加速してるように見える。「共感性」を悪とする言説が流行する状況がすべてを物語っている。

(エプスタイン文書が大問題になっている原因もこれに関連していて、あれは内容それ自体よりも、社会がすでに非倫理的で共感性を欠いた行動が最適解である状態にまで堕ちていたことが誰の目にも明らかになってしまったうえに、明らかになった後にも実質的なサンクションが起きていないことによって改善の望みまで絶ってしまったことの影響が大きい。)

話を戻すと、「新技術に法規制が入るまでに実質的に真っ黒なグレーゾーンで大きく稼ぐ」方法って、遡及法が禁止された資本主義の社会では構造的に不可避の問題になるから、もし社会を良くしたいなら、この”バグ”を広く周知して倫理面でのブレーキを社会内部に実装するしかない。でも「金儲けの追求」が正当化される資本主義社会においては、大きな稼ぎのタネになる”バグ”を使用不能にする動機が倫理面を除いて存在しないし、その倫理面はすでに社会の長期的な腐敗によって骨抜きになっており、むしろ「金儲けのチャンスをつぶすこと」として”非倫理的”であるかのように認識されうるところまで来ているように見える。

倫理的でないことにインセンティブが働く社会って常識的に考えて結構終わってるけれども、これは社会システムの最終局面みたいなもんだから、そう遠くないうちに一度崩壊して新たな倫理体系を備えた社会構造が出来上がるだろうね。崩壊がアメリカ内戦なのか第三次世界大戦なのかはわからないし、出来るのがその後に来るのが今より良い社会かどうかもわからないけど。

 

メモ2:「共感性」は概念化の単位を間違っている

「共感する」という現象は、自他境界を変動させることで、認識や行動の単位が複数主体化することとして捉えるのが良いように思う。この過程は双方向的な過程であるので、それぞれの観測点からの「共感」には不可避にズレが生じるが、このズレは次の「共感」状態へのフィードバックとして機能すると考えることができる。

問題は、「共感」の方法と範囲の規範化である。「共感」が独り善がりに終わるのは、ズレがフィードバックとして働かない状態になったときであり、それは権力と群れ志向によって「共感」が義務化することによって、認識や行動の実質的な目的がすり替わった時である。この時、「共感」は共有されたローカルで実践的な価値に向けた相互調整の過程から、群れ内部の地位と役割の維持と結びついた一方的な自己呈示の手続きに堕す。

巷でいわれている「共感性」は、「共感する」過程から相互的で実践的な側面を捨象し、個人の主観的な思い成しを他者から見て妥当なラインに適合させるスキルのみを取り出したものである。群れ内部での妥当性を見極めることができれば、地位と役割の維持のためのパフォーマンスとしての「共感」の効率は高まる。

このような概念化を加速させているのが、メディアによるバイアスである。文字や映像による”物語”は、目の前の具体的他者に対する具体的な働きかけを通した相互的な協調の過程としての側面を不可視化し、関わりのない他者を一方的に見て勝手に思い成す主観的な過程としての側面のみを前景化させる。このバイアスは社会のありとあらゆるところに存在する。科学的な研究もこの影響から自由ではないし、むしろ誤った概念化の根拠を提供してしまっている。

 

メモ3:AIタイトルアシストは役に立たない

生成AIの仕組み上、仕方ないんだろうけど、記事内のワードに関連するよく使われているワードをタイトルのテンプレートに穴埋めしてるだけになってる。結果として無限につまらないタイトルしか出力してこない。何のための記事で、タイトルにどういう機能を持たせるか、という目的の部分に合わせた調整ができないなら、使える機能にはならない。