感謝されすぎたときためのライフハック

「僕はいい人なんですよ」ってよく言うんだけど、それがなぜなのか説明しておこうと思う。

 

まず、どういうときに「僕はいい人なんですよ」と言うか。それは僕が誰かに対していいことをした時だ。そうすると、その相手がお礼を言ってきたりする。ほかの人が感心してきたりすることもたまにはある。

お礼も関心も半ば社交辞令なのはわかっているのだけど、僕はどうにも人から感謝や関心されるのが苦手だ。(僕の基準から判断して)過剰に感謝されると、むしろ精神的な負債を感じて気が重くなる。自分のやったことに見合った感謝の量を超えてしまうと、自分はそんな感謝に値する存在ではない、というよくわからないバランス感覚が働きだす。

 

そうすると、相手の感謝の量を引き下げたくなるわけだ。

 

とはいえ、「いや、それほどのことでもないから」「当たり前のことだから」「感謝されるためにやったわけじゃないから」みたいな使い古された謙遜の言葉を使うのでは、社交辞令として受け取られる危険性がある。謙遜は美徳だから、相手の感謝の量を引き下げる機能を実質的に果たさない。

これは困った。どうしよう。

 

となったときに出てくるのが、「僕はいい人なんですよ」なんですよ。

謙遜の逆を行ってあえて尊大にふるまうことで、本当に感謝に値しない人間になって見せる。もちろんそんなことを本気で言っているようにはとられないから、冗談として処理される。実際結構笑いが取れる。まずこれで場の空気が変わる。

さらに、一旦これを言ってしまえば、それ以上の感謝は相手の尊大さへの追従になってしまうので、体面上、もう感謝することもできなくなる。

まったくもって王手飛車取りですよ。

 

もし相手が笑いながら「なにそれ」と発言の意図を問うて来たら、最後のとどめに「こう言っておけば、相手が必要以上に借りを感じなくてよくなるでしょ。ほら、なんてったって僕はいいひとだから」とやる。これで僕が感謝に値するかどうかなんてどうでも良い問題は、論理矛盾のループの中に閉じ込められて、なんかいい人なんじゃないかな、くらいのちょうどいい印象に落ち着くわけですね。

 

で、この仕組みを対面で誰かに説明しても、論理矛盾のループに閉じ込めた僕のいい人感が邪魔をして、どこからどこまでが真面目なのか、どこからが冗談なのかが判然としない感じになってしまう。その点、Web上の匿名の書き込みは便所の落書きみたいなものだから、こういう内容は逆に真実味をもって語れるでしょ。

 

どうせ車輪の再発明だろうけど、せっかく思いついた便利なツールを人に教えてあげたくなるのは人間の性なわけで。その欲求をここで解消してるわけです。

いや、やっぱり僕がいい人だからかな。

セラミック鉱山

 『風の谷のナウシカ』ってあるじゃないですか。漫画の方。

あれって、映画を作ろうとしたらスポンサーから「原作ナシはちょっと…」って言われて、まず漫画連載することにしたらしいのね。

 

 で、それとは全く関係ないんだけど、ナウシカの持ってる剣ってセラミックでできてるんだよね。もちろん世界があんな状態で、エンジンなんかの高度な工業技術が必要なものは旧文明の遺跡から発掘してきているくらいだから、超硬度のセラミックも”セラミック鉱山”から切り出してきてる。

 

 その”鉱山”というのは実は旧文明の惑星間航行船の残骸なんだけど、もう誰もそんなことは知らないし、自分たちの先祖が宇宙を自在に航行してたかもしれないなんて発想もなくて、ただの素材の切り出し場になっている。

 

 この設定がすごく好きで、何か郷愁のようなとても曖昧な感覚があるんだけど、それが何なのか、何故なのか、時間ができたらちょっと考えてみたい。

やっぱり『ハートロッカー』はダメだよ

 いまさらだけれども、『ハートロッカー』のなにが酷かったか書いておこうと思う。

 

 この映画の一番の問題は、戦争の悲惨さを描こうとしているのに、現実を排除してファンタジーを描いてしまっていることだろう。どういうことか説明するために、前半のストーリーラインの問題点を例に挙げてみよう。

 この映画は大まかに前後半に分けることができる。前半は主人公と仲間たちが葛藤を乗り越えてチームとしてまとまっていくという希望ある展開となっており、後半の戦争の悲惨さによって精神的に追い詰められ、チームも散り散りになっていくという悪夢のような展開との対比を効果的に使っている。また、全体として円環構造のストーリーとなっており、主人公が戦地に派遣されるところから始まり、任期が明けて家に帰るものの平和な故郷になじめず、取りつかれたように戦地に戻るところで終わる。このストーリーの構造自体はよく考えられていると思う。

 しかしながら、よくできているのは構造だけであり、内容がすべてをぶち壊している。前半のストーリーラインは、戦争映画というよりは、出来の悪い青春部活映画と表現する方がいいだろう。

 

 物語は、イラクに展開している米軍の爆発物処理班に、変わり者の”エース”が”転入”してくるところから始まる。このエースは過去に尊敬する先輩を失っているためにひねくれており、能力はあるが協調性がない。自分勝手な行動で元からいた”部員”を翻弄し無駄な軋轢を生むが、素晴らしい腕前と判断力で爆弾解体を成功させ自分の正しさと周囲の無能さを証明して見せる。とってつけたように現れたお偉いさんに激賞されたりもする。

 部員とエースとの軋轢は高まり、ついには事故に見せかけて排除されるか?というところまで至るが、任務中に武装勢力との狙撃対決になりチーム一丸となることで勝利。お互いを認め合いチームは結束する(練習試合的展開)。そのあと宿舎のベッドでのんきにおしゃべりをしてさらに仲を深める(合宿の夜的展開)。

 

 このストーリーラインの問題は二つある。一つ目は部活もの的なテンプレートと映画全体のストーリーとのかみ合わせの悪さであり、二つ目はストーリーを回すために軍隊の組織としての側面が削り落とされている点だ。

 一つ目から見ていこう。まず重要なこととして、この映画のストーリーの中で主人公の”短所”が克服されることはない。有能だが協調性がなく無駄な軋轢を生むという主人公の短所は、部活ものでは王道だろう。通常の部活ものならば、主人公が短所を克服し、互いに葛藤を乗り越えながらチームとして成長する流れを描くことになる。その葛藤の過程がキャラクターへの感情移入を促し、好感を抱きやすくする仕掛けとなっているわけだ。

 しかしながらこの映画の主人公は戦争に精神的に依存しており、平和な生活に戻れなくなってしまっている。協調性がなく無駄な軋轢を生むという主人公の短所は、そういう悲惨さの中で作り上げられたトラウマからきているものであるため、ストーリーの円環構造を崩さないためには、この短所を克服することはできない。

 短所をそのままにしなければいけないとしたら、どのようにチーム内の葛藤を乗り越え、結束を固めることができるだろうか。この映画が選んだ答えは、チームメイトを主人公に心酔させることだ。上述の練習試合展開と合宿の夜展開を経て、さっきまで「こいつ殺してやろうか」くらいの勢いで嫌っていたチームメイトがコロッと墜ちる。スナイパーとスポッターとして協力している場面はあるものの、基本的に主人公が自分勝手なまま俺TUEEEEEE!してるうちに仲間が勝手に嫌って勝手に墜ちるので、最初から主人公のキャラ造形に好意を持てた人以外は「なんで好かれてるんだこいつ…(ドン引き)」状態になるんじゃないだろうか。あと関係ないけど、合宿の夜展開の会話のノリが妙に女子会っぽくてゲイ展開が来るのかと本気で思った。

 話を戻すと、この映画の主人公はストーリーの構造のレベルでは戦争の悲惨さを体現する悲劇的存在として構想されながらも、描写のレベルでは単なる俺TUEEEEEE!系ヒーローになってしまっている。このご都合主義的な現実感のなさが第一の問題点だ(ちなみにストーリー後半で悲惨な目に合うのも、主人公の自分勝手がうまく回らなくなるだけなのでご都合主義的展開は変わらない)。

 もう一つの問題は、この映画全体を通して続くのだが、部活ものでいうチームを指導する”監督”の役割を持つキャラクターがいない。具体的には、軍隊なのに上官が出てこない。映画内で明確に描写される指揮系統は基本的に「チームリーダー→その他隊員」だけだ。そこから上が描写されることはない。これがどういうことかというと、チームが軍隊という組織の中でどのように動いているのかがはっきり示されることがないということだ。

 そのため、この映画において場面転換は極めてあいまいに行われる。ストーリーの都合で、あるいは”戦争の悲惨さ詰め合わせ”を披露するために、主人公たちは様々な状況に節操なく放り込まれる。そこに軍隊的な秩序と規律はない。過酷な状況の中で失われるのではなく、そもそも存在していない。他組織とゆるく連帯しているレジスタンスの小集団のような自由さで、主人公たちは好き勝手に行動する。ストーリー描写上の必要のために、主人公たちを取り巻く世界から現実性が剥ぎ取られてしまっている。

 こういった描写不足については、主人公の目から見た局所的な出来事を描くことで現実感を云々とかいう評論も見かけたが、これはそんなロジックで正当化できるようなものではない。軍隊の現実は組織の中にあるのに、それを描かずに現実感も何もないだろう。

 

 以前、『ローンサバイバー』の感想を書いたときに、ハートロッカーは意識高い系戦争映画だと評価した。それは、”戦争の悲惨さ”を描くために、”トラウマを抱えてひねくれて戦争に取りつかれてしまった有能で型破りな悲劇のヒーロー”を主人公に設定している浅はかさが不快だったからだ。この映画を要約してしまえば、「この超有能主人公かっこいいでしょ」「こんな格好いい主人公が酷い目にあっちゃう戦争は悲惨だよね」ただこれだけだ。そしてそれを描くために、戦争の現実をヒーローが活躍できるファンタジー世界にすり替えてしまっている。これはまさに意識高い系のように、対象の見栄えのいい部分だけを取り出して”わかったふり”をするための映画なのだと思う。

 

 『ハートロッカー』を見るくらいなら、邦題がパチモンくさい『ハートアタッカー』を見た方が絶対いい。こちらはイラク戦争時の米軍による民間人虐殺事件を扱った映画で、若い中隊指揮官が戦場の緊張と軍隊組織内でのプレッシャーによって正常な判断力を失い、民間人をテロリストと誤認、虐殺に至る過程を丁寧に描いている。ハートロッカーとは違い、こちらはファンタジーもヒーローもなく、真正面から戦争の悲惨を描いている。

影武者

 秀吉と信長と家康が出てくるアコムのCMシリーズで、秀吉が影武者を使っていて、信長と家康が「俺も影武者ほしい~」ってやつがあるでしょ。

 

 経営者が部下を雇うのに消費者金融を頼るって、あれはもはやちょっとした狂気の域に達してると思う。

 

 それで「ご利用は計画的に」とかいうんだからとんでもない自己矛盾ですよね。借金でチワワ買ってた頃よりひどいYO。

起業塾

最近YouTubeの広告で、

 

「たくさんの起業塾セミナーに通うAさんとBさん。Aさんはすごい結果を出して表彰されたりするのに、Bさんはうまくいきません。AさんとBさんにはどのような違いがあるのでしょうか?(ボイチェン早送り声)」

 

みたいなのがたまに流れるんですが。

 

どっちも起業に至っていない時点でドングリの背比べなんじゃないですかね?

ローンサバイバー

 ローンサバイバーの本質はプロパガンダ映画の皮をかぶったギャグ映画だと思う。

 

 リアリティの無さという意味ではハートロッカーもなかなかの酷さだったけど、あれは人間関係を描くためにリアリティも展開の整合性もすべて投げ捨ててるだけで、ポップコーン投げつけながら見る意識高い系脳みそお花畑戦争映画としてはおもしろかった。映像も比較的きれいだったし。

(クソ邦題つけられてパチモン映画にされたハートアタッカーの方がずっと面白かったのは内緒)

 

 その点ローンサバイバーは、アクションアクションヒロイック自己犠牲アクション自己犠牲悲劇アクションアクション現地人との絆目のきれいなガキ悲劇自己犠牲アクションUSA!USA!って感じのゴミ。脚本は幼稚。映像も陳腐。BGMの使い方も、演出意図が透けて見えるどころか脳みそ強制注入レベルで果てしなくうざったい。全然ジャンルは違うけど、演出の方向性は超劣化版ロードオブザリングって感じ。

 

 「実話をもとにした」とかいう触れ込みとか、イントロでシールズの実際の選抜試験の映像使ったり、ところどころ微妙に正確な戦闘描写を織り交ぜてくるくせに、基本はランボー怒りのアフガンレベルの大立ち回り。

 アクション始まるまでは結構真面目な戦争映画してからちょっと期待したけど、爆発を背後に四人そろってつぶれたカエルみたいな姿勢でスローモーションで崖から飛び降りるシーンで「あ、これまじめに見ちゃいけないやつだ」って確信しましたよ。爆炎抑え目のちょっとリアルな爆発にしてるところに殺意を抱きました。

 体中穴だらけにされて、今にも死にそうな顔で息も絶え絶えに岩に寄り掛かったかと思ったら、次の瞬間には素早く岩陰から飛び出して、超人的な反射神経と命中精度でタリバンを撃ち殺しまくる。つーか交戦距離が近い。多分平均6メートルくらい。さすがに主人公たちの隠れてる遮蔽に駆け込んでくるのは草が生えるからやめろ。

 っていうかM4で敵の足を引きちぎっておきながら、至近距離でAKで撃たれまくっても一番ひどい傷が開放骨折ってふざけてんのか。かと思ったら手に被弾して指全部もげてるしこれもうわかんねえな(困惑)。

 どう見ても累計10リットルくらい血を流し続けても生きてられるのは演出の都合として100歩譲って許すが、現地人に助けられて少し寝たら飯を貪り食えるほど元気になった上に、タリバン兵に取っ組み合いで勝利して、その1時間後には心停止ってどういうことだよ。元気と瀕死の境界があいまいすぎるだろ。

 

 とか半笑いで突っ込みを入れながら見てたんだけど、途中からアクション部分になんか既視感があると思ってよく考えたらホットショット2だったよ。あれもランボー怒りのアフガンのパロディでしたね、そういえば。それに気づいてからは、ほとんどすべてのアクションシーンで爆笑できたので、アクション部分にはそんなに不快感はなかったかな。

 

 でもプロパガンダ要素はもう突っ込み入れてらんないくらい露骨で不快。アメリカは絶対正義でタリバンは絶対悪。タリバンは普通のアフガン人にも嫌われてて、アメリカ人は好かれてる。ろくに交流もなかった現地人のガキも、一日一緒にいただけで主人公と涙の別れを演じるほどの深い中に。お前ラブコメのヒロインよりチョロいぞ。

 エンディングテロップの直前に、この映画をこの作戦に従事した人たちに捧げる的な文章が出るんだけど、こんなクソ映画捧げられてほんとにかわいそう。特にヘリを撃墜されて戦死された救援部隊の方々。序盤からちょこちょこ出て、なんか急に目立ったと思ったら15秒くらいでしょうもない死に方させられてたぞ。死者を冒涜するのもいい加減にしろ。

 

 アクションはギャグだし、脚本も演出もプロパガンダギャグレベルのお粗末さだけど、予め覚悟してみれば結構笑えると思う。でも不快感が勝つのでもう二度と見ない。ハートロッカーが文化人気取りの意識高い系脳みそお花畑向け映画だとすると、ローンサバイバーは”リアルな戦争”を知ってるマッチョ志向のヒロイズム中毒患者向け映画って感じですかね。

 

 あと、この映画AMAZONで評価星4になってて視聴者のプロパガンダ耐性のなさにちょっと引いた。こんなに頭悪いプロパガンダ映画評価するのはやばいやろ…。